Te Tuamaramaのチーム
オリ・タヒチ・ショーを作成するために、振付師とインストラクターだけでなく、作家と音楽作曲家も必要になっています。
ジョエル・ベルグと一緒に、Merahau Anastas-TevaiとLibor ProkopがTe Tuamaramaのチームに加わりました。オリ・タヒチを徹底的に教えるために、言語と音楽に対する知識が必要です。
芸術に使われている言葉は一般的に使われている言葉と異なります。このため、ダンス・グループには必ず作家がついています。作家の役割は伝説と古代の書物の検索、単語語源学を使い、調べたりします。Te Tuamaramaの作家はMerehau Anastas-Tevaiです。
最後に、音楽を作成するために音楽オーケストラの指揮者になる音楽家との協力が必要です。
Te Tuamaramaの音楽家は、作曲家とパーカッションのインストラクターであるLibor Prokopです。
Libor Prokop
幼児期からクラシック音楽の教育を受けた音楽家。 ポリネシアの打楽器を学ぶ前に、ピアニストとギタリストでして活躍している。
成人期に、様々なドラム、ディジェリドゥーと鼻笛を学び始める。
Liborはtoere、tari parau、faakete、pahu、iharaなど伝統的打楽器の達人であり、また、VivoやPahuも専門している。
1980年代初期に、Temaevaダンス・グループのダンサーの一人で、Heikura Nui、オ・タヒチ・エと2012年に始まっているHei Tahiti ダンス・グループの打楽器奏者。
ギー・ローランスのFenuaグループのメンバーの一人でもあった。
また、Haururu 文化協会と共にMarae、伝統的な社会における空間や時間概念、ポリネシアにおける移住について熱心に研究し続けている。
Joelle Berg
Fenua(タヒチ語で「祖国」を意味する)に帰ってから、Temaevaダンス・グループに入団する。
10年の間、Temaevaと一緒に踊り、グループの全てのパフォーマンスに参加する。 その後、Heikura NuiとToarevaダンス・グループにも入団する。
コンセルバトワールの舞踊学科完全コースを10年間受ける。
金賞を獲得し、ポリネシアの歴史と文化に関して演説芸術(Orero)、伝統的な打楽器研究、舞踊の芸術と3年の理論的な教育を含む、完全伝統学科を卒業する。
2001年に、ダンスの講師活動と別に、振付師として活躍し始める。TEMAEVAによってプロデュースされたRohotu Noanoaというショーのために振り付けを作成した。
2002と2003年に、TOAREVAのために振付師として活動し、全てのショーに協力する。Joelleにとって最も顕著な仕事は、ジャック・シラク大統領の訪問のために作成されたPOLYNETIAとういうショーだった。
2002と2003年に、TOAREVAのために振付師として活動し、全てのショーに協力する。Joelleにとって最も顕著な仕事は、ジャック・シラク大統領の訪問のために作成されたPOLYNETIAとういうショーだった。
彼女にとって25000人の観客が入ったスタジアムの中で踊ることは、ユニークな体験で、ダンスの創造的なプロセスの新しい面を知る、素晴らしい経験だった。
この出来事から、彼女は現在存在する基本的な伝統のタヒチアン・ダンスをいかに発展させることが本当に難しいと思った。 しかし、タヒチアン・ダンスを通して現代的な創作をしたい彼女の情熱が止まらず、自分自身の知識を活かして頑張り続けている。
2010年以降、主に海外で教えている。 ヨーロッパからアメリカ合衆国、それからアジアまで、ワークショップ、マスタークラス、ダンス講師養成コースを行っている。私の居住であるモーレア島でも教えている。また、在ポリネシア・カリフォルニア大学校バークレーに関連するTe Pu Atitia協会の活動にも協力している。 毎年12月に行われるHura Tapairuと7月にあるHeivaのダンス・フェスティバルの期間中にモーレア島とタヒチ島でワークショップを提供している。
パリ政治学院で3年間勉強した後、マーケティングを専門にし、経済法を学ぶ。そのおかげでタヒチに帰ってから領土行政内で様々な仕事に就くことができ、そして1993年に行政から離れる。
Joelleにとって踊りは人生の目標であり、踊りを通して自分自身を表現し、自分と他人の人生に貢献すると思っている。
踊りの様々な側面を越えて、あらゆる文化に、あらゆるスタイルにおいても、ダンスは芸術である。したがって、踊りの究極の目的は常にスピリチュアルな性質のものになる。
Merehau Konohi Teavai-Anastas
1962年にパペーテで生まれたMerehauの家族は、東部のトウアモトウ諸島から来た。タヒチのFaa’a町で育てられた。
島のルーツは、彼の人生に大きい影響を及び、そのルーツこそが19世紀に航行者によって集められた最初の文書で隠された意味を探求するように彼を後押ししてくれた。
高校の卒業後、パリにあるフランス国立東洋言語文化研究所でポリネシアの言語を学び始めまる。そこで彼が出会ったのは、言語のシステム、記号学、言語の二重調音など、言葉の魔法の世界だった。特に彼は、話される言葉が発揮する力、言葉を話す人が持つ力、そして言葉を受ける人の純粋さ、という概念に興味を持つこととなる。
GIEタヒチ(タヒチの黒い真珠をプロモートする団体)で仕事し、製品「タヒチの真珠」に文化的な深い意味を与えるように口承伝統を研究し続ける。
「ポエよ、(北の星)永遠の明るい夜の中に存在する光の宝石…」 GIEタヒチでの仕事と別で、独特のパフォーマンスを作るためにHeivaフェスティバルといろいろなイベントに参加するダンス・グループと協力し、その活動こそが彼の情熱を満たしてくれた。
Oreroより、歌詞になるように言葉に生命を吹き込んでくれるものがあるでしょうか? Pupu Himeneより、我々の共通記憶を唱えてくれるものがあるでしょうか?
そして、Pupu Oriより、忘れた要素の意味を蘇らせてくれるものはあるでしょうか?
1999年にMerehauは「オ・タヒチ・エ」のために作家を勤める。
「Te Pakerere」ダンス・グループのパフォーマンスのテーマを考えて作り上げる。「Niauの組紐、tapakaの不敬なバージョン、Niauのと包むもの…」 グループは優勝する。
2004年に、「タヒチの真珠」団体はTe Roimata o Oro、「Oroの涙」、という舞台をプロデュースする。「オ・タヒチ・エ」の12人のアーティストを集めた小さなバレエ演劇であり、真珠のプロモーションイベントの時に世界中に紹介される。
これらの2つの作品は古代の参照分から作られた。パフォーマンスは、kere haari、niau、ココヤシの木の全ての部分のような植物質を再現させ、オーストラル諸島の「paau」、トウアモトウの「Pakerere」、「OroのKanaenae」」、真珠でできた月の形をした胸飾りなどの再現を観る機会を観衆に与えた。
リズム、動きやオリ・タヒチにおける体勢に対するジョエルの研究のおかげで、ポリネシアの口承文学の中で新しい視野を広げた。
ジョエルの推理の重要性はここにある:タヒチの言語に潜んでいるツールを使い、実験や分析を行なっている。
Te Pu atiti’a
Te Pu atiti’aは、モーレア島にある文化協会で、在大西洋地域バークリー校の研究施設であるガンプ・ステーションと協力している。先祖の知識を最新の科学的研究法と結合することというオリジナルなアプローチを考え、持続可能な開発を目指している。
協会のメンバーの中で、モーレア島の5つの村から来ている数人の長老がいる。彼らは、伝統的な知識の受け継ぎを保護するために、長老議会を組んでいる。
また、協会はポリネシアの他の環境・文化協会や、太平洋の他の国と交流している。
Te Pu atiti’aは科学と伝統的な知識が交流する場を与え、コミュニティ意識を高めるように重要な役割を果たしている。
プログラムは、世代の間のコミュニケーションを強化することによってコミュニティ内の知識の活力を維持することに焦点を当てている。
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Te Pu atiti’a協会は、SEACOLOGY財団とUCB大学バークレー校のような国際的な後援を受けている。 科学と教育プログラムとともに、協会は島民にいろいろな活動と文化的なワークショップを提供している:
- タパ制作ワークショップ
- ポリネシアの植物を利用して染め物のワークショップ
- 織物ワークショップ
- ジョエルのダンスと打楽器ワークショップ
- タヒチ語のワークショップ
また、自分たちの製品を紹介するように島の職人と農民が集まる伝統市場を、月に1回行っています。
市場とともに「ahi ma’a」という伝統的な食事が準備されている。